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空襲犠牲者の身元なお5千人超が判明せず 大阪大空襲から13日で80年、情報呼び掛け

先の大戦末期に米軍機が大阪の中心部を襲った第1次大阪大空襲は、13日で80年となる。
大阪への空襲は昭和19年末以降50回を超え、計約1万5千人が犠牲になったとされるが、身元が判明した死者は6割程度の9千人余り。
被災者名簿を収集・管理する団体は今も情報提供を呼びかける。
大阪府内の空襲は昭和19年12月から終戦直前の20年8月14日にかけて繰り返され、B29爆撃機100機以上による大空襲は8度を数えた。
特に20年3月13日深夜から翌14日未明にかけての第1次大阪大空襲では約270機が来襲し、約4千人の命が奪われたとされる。
一方で、空襲犠牲者の名簿は「大阪戦災傷害者・遺族の会」といった市民団体や一部の自治体などが収集してきたが、
府内全域をまとめた名簿は長らくなかった。戦争資料を収集する大阪国際平和センター(ピースおおさか、大阪市中央区)は平成11年、
遺族の会が独自調査した約6千人分の名簿を寄託されたのを機に、大規模調査を実施。17年6月までに8816人の氏名が判明し、
敷地内に犠牲者名を刻んだ銘板を設置した。
同センターは以降も名簿を随時更新し、令和5年度も13人を追加登録している。ただ、昨年3月時点までに判明したのは9157人で、
いまだに5千人以上の犠牲者は氏名などが未判明のままだ。担当者は「寄せられる情報は徐々に少なくなってきている。
平和の重みや戦争の悲惨さを伝えるためにも、心当たりのある方は連絡してほしい」と話している。
このような時代は二度と繰り返してはならないです。防衛力よりも未来の子どもたちへ、一度考えてほしいですね

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